ぶたいうらのうら

アメリカにて舞台音響を学び始めて2年。日に日に図太くなっていく留学生の日常。

私が留学を決めるまで

あと1ヶ月と少しでアメリカでの学部生活2年目が終わろうとしていますが、

ここらで自己紹介がてらに私の中で留学という選択肢が現実味を持ちはじめた頃を振り返ってみます。

 

直接のきっかけはアメリカのツアー公演

その時私は、今の専攻の舞台制作からかけ離れている生物学を学んでいる大学生でした。

実は大学に入る前から、欲張りなもんで、生物の研究にも興味があったし、同時に音に携わる仕事もやってみたいなぁと漠然と思っていました。

実際センター試験の翌週は専門学校の見学に行ってました。

幸い大学に先に受かったので、"せっかく受かったのだから生物の勉強をやれるだけやってみよう。もしダメな時はその時はその時だ"ということで両親とは行くからには卒業まですることを約束に大学に入学させてもらいました。

 

正直大学での実験や勉強は面白かったです。でも、将来職業として続けていける自信があるほどでは無かった。

 

そんな中、とある年の夏休みに、東京に訪れていたBroadwayミュージカルのinternational tourの公演を姉と二人で観に行きました。

 

初めて観るアメリカ人キャスト・制作チームによるミュージカル。

 

ぶちのめされました。

 

そもそも最初のオーケストラのチューニングの音(この作品ではオープニングの曲の一部だったのですが)が聞こえた時点から鳥肌立ちっぱなし。

それまで大手のミュージカルを数多く観て来ましたが、これほどまでレコーディングを聞いているようなクリアでバランスがとれている、かつパワフルな音に出会ったことはなかった。

コーラスが始まりキャストが出て来てから最初の歌が終わるまで、もう歌も照明もセットも衣装も全ての要素が協調し合っていて、その押し寄せてくる'伝える力’の迫力に涙が止まらないほどでした。

 

一幕が終わってフラフラになりながら姉とロビーに出た時、

これだよ、これが欲しかったんだよーーーーーーー!!!!!

と再び号泣。

制作の質、コミュ二ケーションがベースとなっている舞台空間、そして何より世界観に引き込むのに十分すぎるクリアな音。

いままで観て来たミュージカルでは正直音にがっかりさせられることが多かった。

 

フィナーレが終わるまでに私は決心してました。私はこの世界で音を作る。

そのために、こういう作品を作っている人たちのいるところで学びたい。

終演後、気づいたら観客席の後ろのミックスエンジニアに拙い英語で質問しまくってたいました。

 

これが私がアメリカへ留学を決心した時だけでなくやりたいことを確信した瞬間でした。

 

 

そもそも学びたいと思える教育機関が国内に無かった

もともと音に携わる仕事に漠然と興味があったと述べましたが、生物を学ぶ傍国内の専門学校や芸術大学を調べてはいました。

その中でもとりわけミュージカルや舞台といったお芝居に付随する生のサウンドの勉強に興味があったのですが、一般的に日本の専門学校は2年間音を操る勉強はするけれども、台本分析やストーリィを伝えるためのサウンドデザインを学んだり、舞台制作において肝心となる制作分野間の理解を深めるような経験ができそうなところはありませんでした。

 

お芝居に特化して音を学ぶとなると、数は限られて祝ますが、芸大という選択肢もありました。

でもどうせ多額の授業料を払って経験を積むことを考えた場合、明らかにアメリカの大学の方が選択肢も多く、私の求める舞台製作をしていることが分かったのでアメリカに絞ることにした。

 

というのは表向き、というか、もうアメリカのミュージカルを観たときの経験がすごすぎて正直アメリカに行くことしか考えてなかったという単純思考です。チン。

 

当初イギリスをはじめとするヨーロッパの学校も探してましたが諸条件からアメリカに落ち着来ました。

 

親に相談

幸いなことにうちの親の教育方針として最長30歳までは面倒見てやるから人様に迷惑かけない範囲内で好きなことやれ、というのがありまして特に反対とかはありませんでした。

さらに同時期にちょうど父も仕事で英語圏に住んでいた時期があり、海外生活に関してある程度理解がありました。

 

問題は金銭面。

 

うちはまだ自立してない兄弟があと3人もいる上に親は医者でも社長でもございません。

そんな親からの留学の絶対条件: ”奨学金もらえるなら行ってもいいよ”

 

そこから手当たり次第留学のための奨学金について調べまくりました。

 

 

トビタテ留学!JAPANに出会う

 色々な大学を検討した結果(ここまでが長かったのですがま別記事で書きます)、私の条件で最も入りやすくて私のニーズに合っているプログラムとして今在籍しているシンシナティ大学のVisiting Student Programにたどり着いたわけですが、大きな問題が一つ。

このプログラム、いわば交換留学の私費留学版、なので費用は全部自分で出さなきゃいけません。

当時在籍していた大学はUCと協定を結んではいなかったのです。どれだけ他の提携大学の学生が羨ましかったことか・・・。

別にアメリカで舞台制作を学ぶ方法なんていくらでもあるのですがそこの教授と話して見ていい手応えだったのと公演の規模とクオリティがすごく魅力的だったのでどうしても諦めたくなかった。

 

数ある日本の奨学金を調べる中、学位取得を目的としない留学、しかも舞台芸術分野となると本当に使えるない!!

自力でのサーチの限界を感じた私は大学の国際課に駆け込みました。

そこで教えてもらったのがトビタテでした。

 

留学期間は2年間まで。OK!

分野関係なし。OK!

審査はなかなか面倒そうだけれど必要なのはパッション!あるーーー!!!

 

もうこれにかけてみるしかなかった。

 

それまでほとんど与えられた道の上だけで生きてきたような私にとって、留学を決心してから初めて自分の人生を責任持って生き始めた心地がしました。

 

実はトビタテを知った時点で大学4年の夏休みで、留学の期間が卒業と被ること、またトビタテを利用するためには日本の教育機関に在籍している必要があるため、これらの条件をクリアするために、

 大学の休学・卒業判定のシステムも調べました。文字通り‘留学のため’だけの調整の可能性を大学のスタッフさんと検討していきました。

自分の求めているもの、それに必要なことを明確にして周囲の人間を説得しなければいけなかった。

 

そんなこんなで大学の教授、教務や国際課のスタッフさんを散々振り回したわけですが、私の本気が通じたのか、みなさん本当にお忙しい中丁寧に対応してくださいました。もうほんっとに頭が上がらないです。

 

 

振り返ってみると、一目惚れして好きな男について来ただけみたいな危なっかしいやつですね。若さのせい、ってことにしておきます←コラッ

でも改めてこの図太さと問題解決のためのしつこさは舞台の裏方で働く人間として誇れる部分なのかもと思えてきました。おまけにこういう過程を楽しんじゃう性格でもあります。

留学が決まるまで、またアメリカに来てからもここに書ききれないほどのたくさん人に出会い、支えられながら今があります。その方々への感謝の気持ちを思いながら、貪欲に経験を積んで生きたいと思います。